sachitowaconsultingのブログ

みんなが幸せに向かえる世の中であってほしい

戦争と平和と幸福とーその2「本当に目指したい世界」

さちとわなりに、戦争のない世界、平和ですべての人々が幸福を目指せる世界を考えてみる。

その2 本当に目指したい世界

「核のない世界」「戦争のない世界」は目指せないのか。私はそうは思わない。そこに向かうためのいくつかの鍵があると思う。具体的な解決策を私如きが持っていると主張する気はない。ただ一人でも多くの人に一緒に考えてもらいたいと思う。

では、どうすれば良いのか? 

まずは本当に目指したい姿をしっかり見据えること。

本当に目指したいのは「核のない世界」「戦争のない世界」ではない。

本当の理想の世界って、すべての人がお互いに尊重し合い助け合ってみんなでより幸せに向かおうとする世界ではないだろうか。

銃口を突きつけあって「抑止」し続ける世界ではなく、認め合い助け合い信頼し合う世界ではないか。

マズローの欲求の5段解説はご存知の方も多いと思う。世の中のために自分なりに何か役に立ちたい誰かを助けたいという欲求はまず自分が世の中に受け入れられていて世の中の一員でありたいという欲求が満たされて初めて生まれるとされる。

これらの欲求は安全や安心が満たされた上に芽生える。さらに根底には、生理的欲求が満たされることが在優先される。

すなわち、食事や睡眠、排泄などが担保され、安心して暮らせることー安全に暮らせる住まいがあって、自由が保障されていることや経済的にも安定していること、これら基本的な欲求領域が満たされて初めて、社会の一員であろうとか世の中の一部としての自分の存在への欲求が生まれる。

今の世の中では、基本的欲求の部分さえ脅かされている。今の日本はそうである。
食事が十分摂れない人がたくさんいる。学校給食だけが栄養源の子どもがたくさんいる。その給食も栄養が十分確保されていると言えない現実も見聞きする。睡眠を削って労働させられている人も少なくない。誰かの威信のために「睡眠削って働かす制度を延長しよう」などという輩さえいる。自分の住まいを持つことが贅沢ということがまるで当たり前のような社会だ。家を持って住まう、借りて住まうどちらにしても相当な経済的負担をしなければ叶わない。それだけの負担を払いながら、水・空気・騒音などそして放射能ー安心さえ確保されるとは限らない。

こんな状態で、世の中の一員としての自覚を持とうとか、ましてや助け合おうとか思えなくても当然なのかもしれない。

衣食住、休養と睡眠をまず十分確保されなければならない。自己責任ではない。国というものがある以上、国は責任を負わなければならない。今の日本ならやる気があればできることだ。ただ、食料需給力をどんどん下げ、海を汚染し、森も守らない政策を続けていては、自国の力で出る力は確実に削られていると思う。

 

次回は、なぜ、国は国民の基本的欲求を満たし守ろうとしないのか、世の中の仕組みの何が障壁なのかを考えてみたい。